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惜しまれるレーモンド建築 横浜・伊勢佐木の「不二家」解体へ 築80年超で建て替え:東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

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取り壊しが決まった不二家横浜センター店=横浜市中区で

取り壊しが決まった不二家横浜センター店=横浜市中区で

 横浜市中区のイセザキ・モールで八十六年間、街のシンボルとして愛されてきた「不二家横浜センター店」(伊勢佐木町一)が、老朽化と耐震性の問題から建て替えられることになった。八月二十日に一時閉店し、九月一日に近隣に仮移転する。ガラス張りが特徴的な建物は一九四五年の横浜大空襲を耐え、戦後は米軍に接収された歴史もあり、解体を惜しむ声が上がる。(志村彰太)

 不二家(東京都文京区)は一九一〇年に横浜・元町で創業。二二年に二号店として「伊勢佐木町店」をオープンしたが、翌年の関東大震災で焼失し、三七年に現在の建物を新築した。数々の名建築で知られる米国人建築家アントニン・レーモンド(一八八八~一九七六年)が設計し、鉄筋コンクリート地下二階、地上六階建て、延べ二千九百九平方メートル。建築当初は前面に加え、側面もガラス張りで、自然光を効率よく取り込むデザインが際立っていた。

開店から間もない頃の不二家横浜センター店=不二家提供

開店から間もない頃の不二家横浜センター店=不二家提供

 横浜の歴史的建造物に詳しい青木祐介・横浜都市発展記念館副館長は「正面右側の横長窓と左側の格子状ガラスブロックが、モダニズム独特の左右非対称な構成で印象的。当時は、光あふれる内部空間だったのでは」と解説する。

 戦後は米軍が接収。米兵が飲食や文化・サークル活動に使う「ヨコハマクラブ」となり、五八年までに順次返還され、再び不二家の店舗となった。同社によると、かつてはビアホール、洋菓子店、西洋・中華料理店、宴会場、高級喫茶を各階で運営。近年は地下にテナントが入るなどしていたが、二階以上は老朽化のため利用せず、吹き抜けも天井材で大部分を覆っていた。

米軍に接収されていた頃の不二家の建物=横浜市中央図書館所蔵

米軍に接収されていた頃の不二家の建物=横浜市中央図書館所蔵

1952年、米軍接収時の不二家の建物内部 =米国国立公文書館所蔵、横浜市史資料室提供

1952年、米軍接収時の不二家の建物内部 =米国国立公文書館所蔵、横浜市史資料室提供

 同店が解体されれば、市内の戦前のレーモンド建築のうち、ほぼ元の形で残るのは、ともに同市中区にあるエリスマン邸と、フェリス女学院十号館(旧ライジングサン石油会社社宅)のみになる。横浜の戦災被害に詳しい市史資料室の羽田博昭・調査研究員は「戦後の接収の歴史が刻まれた建物だ」と惜しむ。

 同社は「安全確保の観点からやむなく建て替えの結論に至った」と説明。「年月を経ても全く古さを感じさせず、街並みに溶け込んでいたのはレーモンドの設計による偉大な功績」とし、部材などで残せるものがあるか調査しているという。新たな店舗は二〇二六年に完成する予定。

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July 28, 2023 at 05:33AM
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