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1964年のレガシー・戦後モダニズム建築の傑作が国重要文化財に - 読売新聞

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 国立代々木競技場の第1、第2体育館(東京都渋谷区)が文化審議会の5月21日の答申で、新たに国の重要文化財に指定される見通しとなった。日本を代表する建築家、丹下健三氏による斬新な設計は1964年東京オリンピックのレガシー(遺産)の一つで、指定されれば最も新しい重文建造物になる。

 代々木競技場は64年大会のために作られ、第1体育館は競泳と飛び込みの会場となった。大会公式報告書や日本スポーツ振興センターの資料によると、オリンピックが10月の秋開催で気温が低いために大規模な屋内水泳会場が必要とされ、この大会から正式競技となった「お家芸」柔道も行える施設を目指して、収容人数2万5000人の「屋内総合競技場」が計画された。

 招致活動の段階では、候補地として神宮外苑内の新宿御苑が挙がっていたが、実現しなかったという。

 最終的に候補地となったのが、太平洋戦争後にアメリカに接収されて駐留米軍将校の家族用住宅があった「ワシントンハイツ」だ。現在の体育館やNHK、織田フィールド、代々木公園、青少年総合センターを含めた一帯がそれで、戦前、戦中は陸軍練兵場があり「代々木の原」と呼ばれていた。

 敷地はオリンピック前に日本に返還されて北側は選手村となったが、現在の都道を挟んだ南側の丘陵突端部(約9万平方メートル)は鉄道駅に近く、選手村からの徒歩移動ができることなどから競技会場の建設地に決まった。

 技術・運営の両面の理由から当初の2万人案が1万数千人規模に縮小され、第1体育館の建設が始まったのは63年2月。読売新聞の記事によると、高さ40メートルの主柱2本を130メートル間隔で建て、太さ約5センチのワイヤ37本を束ねた口径33・5センチのケーブルを2本、架け渡した。空中に渡したこのケーブルで屋根を支える「()り構造」を採用し、50メートルの競泳用プール、飛び込み用プール、そして1万5000人を収容する観客席には、柱が1本もない。

 ケーブルは自らの重みでたわみ、太陽に当たったワイヤだけが熱で伸びるため、日没後にたわみを調整する必要があった。建設関係者は「調整には、毎晩の徹夜作業で1か月以上かかった」と語っている。延べ床面積が約2万8000平方メートル(約8500坪)、アリーナ面積4000平方メートル(約1200坪)の体育館は、延べ20万人の人手を費やして開幕2か月前に完成した。

 この大会の競泳と飛び込みで日本が獲得したメダルは、800メートルリレーの銅1個だけだったが、「上から見ると、半円を少しずらして向かい合わせたような形で、全体がゆるやかな曲線のシルエットが美しい。中央部が伸びあがる壮大な内部空間を創り上げ、戦後モダニズム建築として価値が高い」(同センター)という丹下氏の代表作は世界の注目を集めることとなった。

 カタツムリの殻を思わせる外観と円(すい)形の天井が独創的な第2体育館も64年にはバスケットボール会場として使われ、その後も長く「バスケの聖地」としてファンに親しまれた。

 当時の国際オリンピック委員会(IOC)、アベリー・ブランデージ会長は代々木の体育館を「あの競技場は本当に素晴らしい。スポーツをやる人を非常に鼓舞した。また、美を愛する人々の記憶の中にはっきりと刻み込まれるでしょう」と絶賛したという。

 あれから57年――代々木競技場は、再び巡ってくる今夏の東京オリンピック、パラリンピックでハンドボール、車いすラグビー、バドミントン(パラ)の会場として使われる。

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May 25, 2021 at 06:00AM
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