大阪駅前に並ぶビルは、その利便性はもちろん、ひとつひとつが魅力的な建築物でもあります。建築家である円満字洋介氏の著書『京都・大阪・神戸 名建築さんぽマップ 増補改訂版』(エクスナレッジ)より、大阪・梅田エリアの名建築を詳しく見ていきましょう。
魅力あふれる大阪駅前の再開発ビル
大阪駅前の再開発は4つのビルを生み出したが、それぞれ少しずつデザインを変えながら、その実、どれがどれだかわかりにくい。地下街を歩くとなおさらで、暖簾のかかった立ち飲み屋が通路に並ぶ風景は梅田独特のものだ。闇市をなくそうとして、期せずしてアジア的風景を生み出してしまったところがおもしろい。
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01.考え抜かれた開発計画「阪急梅田駅」
阪急梅田駅は、タコが自分の足を食べるように駅を後ろに下げて商業スペースを増やした。そのおかげで線路がJRの下をくぐる必要がなくなり、駅の高架化も実現した。大規模な駐車場と搬入口を確保した商業スペースなど、新しい町がひとつ生まれた開発だった。大階段のコンコースから旧コンコースへの大回廊をその町のメインストリートに据えたあたり、計画上の手腕ももっと評価されるべきだろう。
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02.茶屋町のシンボルビル「毎日放送本社」
阪急梅田駅北東の毎日放送本社は、前面にミラーガラスを張って忍者のように景色に溶け込んでいる。これは日光を反射させてビルの中へ熱が入るのを低減させるためのガラスだ。大型建築の圧迫感を減らす効果があることから、環境配慮型として一時注目を集めたが、反射光の光害により今はあまり使われない。このビルは先端がMBSのM字をかたどって傾斜している。それと上階のパラボラアンテナ用のへこみとが上手く響き合って、彫刻的な美しさを得ている。
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03.建築と造園の見事な連携「梅田センタービル」
梅田センタービルは、建物の中央にエレベータや設備をまとめ、そのまわりを業務空間とするセンターコア式の業務ビルだ。建物も細部にわたり濃密にデザインされているが、計画的には前面のサンクンガーデン(地下広場)が秀逸だ。広場まわりを回廊風にして店舗と小ホールを配置し、その上から桜が枝を下げるあたり、造園と建築のこの上ない連係プレーを見せてくれる。その広場に架かった細い橋がおもしろさの決め手になっている。
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04.職人技が光る丸コーナー「北大阪ビルディング」
都島通り沿いの北大阪ビルディングは、60年代ビルの傑作のひとつと考えてよいだろう。尖った敷地に合わせて角を丸くしているところがかっこいい。60年代は難しい丸コーナーをやすやすと仕上げる職人技の生きていた時代でもある。上部の光沢があるグレーのタイル、下部の緑がかったタイルもきれいだ。使っているタイルの質がよいのも60年代ビルの特徴だ。最上階を奥へ引っ込めて、屋上テラスを設けているのもよい。
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05.惚れ惚れする角アール「東阪急ビル」
堂山町交差点の東阪急ビル。変形敷地に丸みを帯びた外壁で対応するという考えは上手いと思う。外装が変わっているように見えるがシルエットは昔のままで、ちゃんと角のガラスも丸くしているあたり芸が細かい。1階部分に茶色い釉薬タイルが残っていて、何気ないけどきれいだなといつも見とれてしまう。実は60年代くらいまでのタイルには1枚1枚手づくり感のある良いものがあるのだ。
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再開発ビルの隙間に佇む、歴史を感じさせる古き良き神社
06.キタエリアを守る天神さま「綱敷天神社」
堂山町交差点から東に向かった綱敷天神社は、嵯峨天皇と菅原道真を祀る。権現造りは拝殿、幣殿、本殿の3つの部分に分かれる。通常真ん中の幣殿は一段低いが、ここでは拝殿と本殿の床高さの中間なのが特徴だとされる。正面を唐破風にするのは京都の北野天満宮や大宰府天満宮と同じだ。唐破風は神様の通り道を示すとわたしは考えているが、この場合は天神さまの土人形にも似ていると思う。左右の石灯籠は珍しい形だ。どっしりとしていて大きな唐破風によく似合っている。綱敷天神社は嵯峨天皇の行宮跡とされる。嵯峨帝崩御の後、行宮跡を神社にしたのは嵯峨帝の皇子のひとり源融だった。
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07.華麗な戦災復興本堂「太融寺本堂」
源融は嵯峨帝の勅願をうけてこの地に寺を建てた。開基は弘法大師だ。創建の翌年、嵯峨帝はここへ行幸している。鉄筋コンクリートで復興された太融寺本堂は背が高く軒の出の大きい華麗な姿をしている。興味深いのは本堂東側に復興された朱い宝塔で、手前の客殿と背後のビルとに挟まれて、どこか遠い山の中の風景にも見える。
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08.「曽根崎心中」ゆかりのお初天神「露天神社」
次の露天神社は、近松の戯曲「曽根崎心中」ゆかりの神社だ。ヒロインの名前をとって「お初天神」と大阪人は呼ぶが、都市化しても伝説が残る町はおもしろい。天神があるということは湧水地であるということで、地下鉄工事や駅前再開発が湧水に苦しめられたことを思い出す。社殿は戦災復興のコンクリート製だ。屋根まわりや正面の装飾が、他ではあまり見ないような独特のもので、流麗な美しさを見せてくれる。
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09.戦後が息づく不思議世界「大阪駅前市街地改造事業」
JR大阪駅南側のこのあたりは闇市が長く残っていたが、大阪駅前市街地改造事業が民間エリアも含めて完了したのは1990年代ではないか。本当は1970年の大阪万博に間に合わせるつもりだったのだろうけどね。公共エリアは第1から第4までの4つのビルになったが、元あった商店が入居したから、地下に居酒屋の並ぶ不思議な世界が生まれた。カメラ屋が多いのも元にそうした一角があったからだ。建物は新陳代謝しても、中身は転写されたように残っているのがおもしろい。
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10.建築家・片岡安の存在証明「旧毎日新聞大阪本社 堂島社屋正面玄関」
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旧毎日新聞大阪本社堂島社屋正面玄関がある場所には、1922年竣工の5階建てのビルが建っていた。裏に説明板があるので確かめておきたい。残存部を見ても装飾分解が進んでいるので、片岡らしいジャズ系建築だったと思うのだがよくわからない。このあたりは堂島という地名だが、その昔海の上からでも見えたお堂があったからこの名がある。後ろの堂島アバンザの東側にそのお堂が残っている。サッカーボールのような形に変えられているが。
円満字 洋介 建築家
著者:円満字 洋介
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June 05, 2024 at 09:00AM
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