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「韓国」の建築・建設は、日本の技術ナシには立ち行かないというこれだけの例 - ニフティニュース

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■韓屋風住宅、仁川大橋、南大門、百済文化団地…の日本依存度

 不動産価格の高騰が続く韓国で、効果的な対策を行わない文在寅政権に対する不満が噴出している。韓国の住宅は、日本の分譲マンションに相当するアパートや中小規模のヴィラなど集合住宅が90%以上を占める一方、近年、郊外や地方都市を中心に戸建て住宅の人気が高まっている。なかでも近年、韓国の伝統家屋である韓屋風住宅が注目を浴び、木造住宅ブームを牽引するが、伝統家屋は日本に依存している。

 韓国の戸建て木造住宅は90年代以降、米国から導入した2x4や2x6が主流だが、一方、オンドル式床暖房を基本とする韓国の生活スタイルに向かないことから、消費者は木造住宅の購入に二の足を踏んでいた。

 2006年頃から韓屋住宅が注目されるようになり、05年まで年2000戸以下だった新築木造住宅は16年には1万5000戸近くにまで達した。

 伝統韓屋は建築できる技術者が少なく、また高額で庶民には手が届かない高嶺の花だったが、日本の木材とプレカット技術を活用した“日本製”韓屋が登場し、手が出しやくなった。

“韓国式”は木材を現場で切ることなどから材料の無駄が増え、施工期間も長くなる。その材料の無駄や工期は価格に反映される。

 プレカットは材料の無駄を省き、施工期間の大幅な短縮に加えて品質の均一化にも繋がる韓国にはなかった技法である。

■古都慶州に日本人建築家が手がけた店舗付き住宅の韓屋が誕生

 2010年、百済遺跡の世界文化遺産登録を目指していた忠清南道の公州市と扶余郡は、世界大百済展を開催し、その目玉のひとつとして伝統住居の宿泊体験ができる公州韓屋村を造成した。

 当初、韓国産マツを使用して韓国の技術で建設を進めたが、予定に間に合わないことが判明すると、宮崎県からスギ集成材とプレカット材を導入した。

韓屋完成から3年経った時点で、韓国製韓屋にはかなりのひび割れが発生していたが、宮崎産の木材を使った日本製韓屋には割れがほとんど見られなかった。

 住宅建築業者は日本製韓屋に注目し、宮崎県産“韓屋”が韓国の伝統住宅ブームを牽引した。

 2014年には、古都慶州に日本人建築家が手がけた店舗付き住宅の韓屋が誕生した。

 53平方メートル(約16坪)で外観は普通の韓屋だが、天井を横切る大梁がなく、それまで韓国にはなかった構造の韓屋である。

 韓国の大工は経験がないと作業に難色を示したが、建築家の富井正憲・漢陽大建築学部客員教授(当時)は諦めなかった。
 
 梁がない屋根に日本の瓦と比べて3〜4倍の重さがある韓国の瓦を載せるのが大変で、設計費を費やしたが、弟子や構造エンジニアなどの協力を得て、計画通りに完成した。

■韓国の建設会社はコンクリートと鉄筋を組み上げただけ

 2017年にロッテ建設が施工した地上123階、高さ555メートルのロッテワールドタワーは、基礎設計は英アルップ社、基礎の上にコンクリートと鉄骨を組み上げる建物設計は米KPFとレラ社が担った。
 
 風速80メートルの強風に耐えるための風洞設計はカナダのRWDI社、そして合計2万個のガラス壁を取り付ける外壁を日本のリクシルと米CDCが担当している。

 日英米加の4か国による合作で、韓国の建設会社はコンクリートと鉄筋を組み上げただけだが、韓国建設業関係者によると、韓国の建設会社が国外で建築する高層ビルも実情は同じという。

 韓国の空の玄関口である仁川国際空港と本土とを繋ぐ永宗大橋は、日本の技術で作られた。

 仁川空港がある永宗島と本土を繋ぐ4.4キロメートルの橋で、上層は高速道路、下層は鉄道と道路の2層構造になっており、橋の下を1万トン級の船舶が通過できる構造となっている。

 2002年の日韓W杯に向けて、サムスン物産を筆頭に韓国大手建設会社がJVを組んで建設した。

 世界初の3次元自定式つり橋で強風や地震にも耐えられる構造となっており、韓国の土木建築物として初めて日本の土木学会田中賞を受賞した。
 
 日本の長大が韓国の国家プロジェクトの設計と施工監理を担当し、サムスン物産をはじめとする建設会社は、長大の設計と指示に従って施工した。


■韓国の設計技術が束になっても長大の個人技術者の足元にも及ばない

 2009年に完成した、仁川空港から仁川市内の松島に至る仁川大橋も長大が設計した。
 
 海上区間12.3キロメートル、総延長21.38キロメートルで、世界で7番目に長く、韓国ではもちろん最長である。
 
 建築は民間投資事業として行われ、英国系多国籍企業のエイメックと仁川広域市、投資家などが共同で設立した仁川大橋株式会社が施工した。

4年4か月に亘った工事には、サムスン三星物産の建設部門、大林産業、大宇建設、GS建設、韓進重工業、ハンファ建設、錦湖建設の7社が参加し、完成時には韓国建設業界の力を世界に示す大々的にアピールしたのだが。

 大型橋梁は、風、波、自動車の通行量、地震などさまざまな要素を分析して構造設計を行うが、韓国の設計技術が束になっても長大の個人技術者の足元にも及ばないと土木設計専門家は話した。

 仁川大橋は主塔から延びるケーブルが橋を支える構造の斜張橋となっており、そのケーブルは新日本製鉄(現日本製鉄)が製造、フランスのフレシネが設置した。


■「南大門」復元後に確認された亀裂、日本だけが頼りだった「百済文化団地」

 韓国国宝第一号の南大門こと崇礼門は2008年、放火により石造の城門を除く大部分が焼け落ちた。復元に際しては、1950年に放火で焼失し、復元された金閣寺を参照した。

 韓国文化財庁は、1950年に李朝時代に建てられた原型の再現に重点を置いた。

作業員は民族衣装を着用して、電動工具は使用せず伝統的な技術で行うと発表したが、韓国には伝統的な彩色の丹青と膠(にかわ)や漆などの接着剤を作る技術がなく、日本製を使用した。

 修復完成から半年後に、丹青の剥がれや瓦のひび、木材の亀裂などが多数確認された。

徐々に木に染み込む伝統顔料は、塗った直後の発色はおとなしい。

価格が天然原料の10分の1ほどの化学顔料を上から塗ったため、天然の膠や顔料は重さに耐えきれなかった。日本から買ったは良いが、その使用法を知らなかったのだ。
 
また、本来予定されていた韓国産の金剛松ではなく価格が100分の1程度の安価なロシア産木材を使っていたことも判明した。

 ロッテが忠清南道扶余郡に17年の歳月をかけて造成した歴史テーマパークの「百済文化団地」は、百済の建築技法が反映されていると言われる日本の寺などを回って可能な限り忠実に再現した。韓国には史料も技術もなく、日本だけが頼りだった。

 1985年に竣工したソウル・汝矣島のランドマークタワー「63ビル」も日本の技術で建てられた。

 韓国の建設技術者はマキタの電動工具を愛用し、また、伝統建築から韓国の建設技術を誇示する建築物まで、日本の技術に依存している。

佐々木和義(ささき・かずよし)
広告プランナー。商業写真・映像制作会社を経て広告会社に転職し、住宅・不動産広告等のプランナー兼コピーライターを務めた。韓国に進出する食品会社の立上げを請け負い駐在員として2009年に渡韓。日本企業のアイデンティティや日本文化を正しく伝える必要性を感じ、2012年、広告制作会社PLUXの設立に参画し現在に至る。日系企業の韓国ビジネスをサポートする傍ら日本人の視点でソウル市に改善提案を行っている。韓国ソウル市在住。

週刊新潮WEB取材班編集

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September 27, 2020 at 03:00PM
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