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案外あちこちにある大名屋敷の建築遺構──東京で見つける江戸 第3回 - GQ JAPAN

東大の本郷キャンパスを取り囲む、加賀藩前田家上屋敷の石垣

東京大学=加賀藩上屋敷

前回、江戸に数百はあったという大名屋敷の石垣について紹介した。江戸後期には江戸の土地の半分以上が大名屋敷で占められていたのだから、東京人は日々、大名屋敷の敷地内で活動しているようなもの。建物など残っていなくても、なにやら誇らしげな気持ちにならないだろうか。

とはいえ、建築の遺構もわずかではあるけれど、いまに伝わっている。その代表格はなんといっても東京大学の赤門(御守殿門)だろう。これは、あの100万石の加賀藩前田家の上屋敷の御住居表門だったものだ。文政10(1827)年に、11代将軍であった家斉の21女(!)の溶姫が輿入れする際に建てられ、当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎える際、朱塗りの門を建てるというならわしに従っている。切妻屋根の、門柱のうしろに控え柱を2本設けた薬医門と呼ばれる形式で、左右に唐破風の番所があり、その左右には海鼠壁の袖壁が控える。

東大の赤門は、100万石の加賀前田藩の上屋敷の御住居門だった。

明治36(1903)年、医科大を建てるために外側に15メートルほど移されたのちは、関東大震災でも倒壊せず、空襲の際も必死の防火活動のおかげで被災も免れた。昭和6(1935)年に旧国宝に。その半世紀前には、東京中の大名屋敷を徹底して壊したのに、ずいぶん価値観が変わったものだ。昭和25(1950)年に国の重要文化財に指定され、いまに至っている。

東大農学部キャンパスの隣、西教寺表門は、姫路藩酒井家の上屋敷から移築された。

本郷キャンパスにはほかにも、加賀藩上屋敷を偲ぶよすががある。いわゆる三四郎池は、5代藩主、前田綱紀のときに完成した育徳園心字池で、江戸の大名屋敷の庭園中でも、とびきりの名園と謳われたものだ。夏目漱石の小説にちなんで、一般に三四郎池と呼ばれている。また、キャンパスの外周には正門脇をはじめところどころに石垣が残っている。

東大の三四郎池は、諸藩の屋敷の庭園のなかでも第一と讃えられた育徳園心字池だ。

ところで、東大農学部キャンパスの隣に、もうひとつの赤門がある。姫路藩酒井家の上屋敷から移築された西教寺表門で、こちらも伊達に朱色に塗られているわけではない。先ほど登場した将軍家斉の25女(!!)、喜代姫を迎えるために建てられたそうで、明治7(1874)年にここに移築された。元来は瓦ぶきだったが、関東大震災で被災してから軽量化のために銅板ぶきに改めたという。文京区の有形文化財に指定されている。

上野の森に残る、鳥取藩池田家の上屋敷表門。最高の格式を誇る。

赤門ならぬ黒門も

東大が赤門なら、黒門と呼ばれているのが、上野の東京国立博物館の正門に向かって左側に建つ因州(鳥取藩)池田家の表門である。鳥取藩の上屋敷はもともと大名屋敷が建ち並ぶ丸の内大名小路の、いま帝国劇場があるあたりにあった。明治25(1892)年に芝高輪台にあった東宮御所の正門に、続いて高松宮邸に引き継がれたのち、修復されて昭和29(1954)年、国立博物館の屋外展示の一環として、いまの場所に移築された。江戸末期の建築と推定され、入母屋造りの堂々たる屋根で、左右に唐破風をいただく番所を備え、大名屋敷の門としては最高の格式のもの。国の重要文化財に指定されている。

江戸後期の建築である幸国寺山門は、田安徳川家の屋敷の門を移築したと伝えられる。

赤坂にも大名屋敷の門があるのをご存じだろうか。赤坂見附駅から西に徒歩数分の、山脇学園の志の門だ。元来は、やはり丸の内大名小路の、東京中央郵便局のあたりにあった岡崎藩本多家の上屋敷表門として建てられたもの。文久2(1862)年に焼失後、ただちに再建されたといい、しばらく千葉県九十九里町に移されていたが、2016年、山脇学園が校舎の建て替えに合わせていまの場所にふたたび移築した。左右に長い長屋門の中心部分だけが残り、やはり重要文化財の指定を受けている。

岡崎藩本田家の上屋敷表門を移築した、山脇学園の志の門。

大江戸線の牛込柳町から徒歩すぐの幸国寺の山門は、檀家である長嶋家から寄進されたもので、江戸後期の建築と推定されている。そして長嶋家では、大名屋敷から門を移築したと伝えられているという。史料などによって間違いなく確認されているわけではないようだが、徳川御三卿のひとつ、田安徳川家の屋敷の門を移築したものだとされる。新宿区指定の有形文化財で、実際、右側に番所を併設した格式の高い門だ。

同じく豪徳寺の通称「赤門」は、井伊家の江戸屋敷の新中雀門を移築したもの。

では、こうした門の内側にはどんな建物が建っていたのか。基本的には古写真などを見ていただくしかないが、都内には唯一、世田谷区の豪徳寺に、佐倉藩堀田家の敷書院と伝わる建築が移築されている。関東大震災後に譲り受けたそうで、書院はよく見えないが、唐破風の堂々たる玄関は大名屋敷の威厳をいまに伝えている。ちなみに、豪徳寺は彦根藩井伊家の菩提寺で、彦根藩邸の新中雀門を明治18(1885)年に移築した、通称「赤門」も残っている。

佐倉藩堀田家の敷書院を関東大震災後に移築した、豪徳寺の書院。

PROFILE
香原斗志(かはら・とし)
ジャーナリスト。早稲田大学で日本史を学ぶ(日本史専攻)。小学校高学年から歴史オタクで、中学に入ってからは中世城郭から近世の城まで日本の城に通い詰める。また、京都や奈良をはじめとして古い町を訪ねては、歴史の痕跡を確認して歩いている。イタリアに精通したオペラ評論家でもあり、新刊に「イタリア・オペラを疑え!」(アルテスパブリッシング)がある。

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January 31, 2020 at 06:00PM
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