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近年の超高層ビルの特徴は、最上階が展望台として一般に開放されていること。あべのハルカスには「ハルカス300」という天空庭園があるし、トーチタワーも展望施設ができる予定だ。 かつて高さとは権力の象徴だった。しかもそれは、権力者が独占するものだった。 1638年に完成した江戸城本丸は、石垣の高さを加えると天守は58メートルである。現代の20階建てビルに相当する高さだ。しかも標高25メートルの場所に建設されたため、江戸中から見えるランドマークだった。 徳川時代の初期、江戸では裕福な商人は三階櫓を建設していたのだが、次第に幕府は高さ制限を強めていく。1649年の三階建て禁止令は幕末の1867年まで解除されなかった(大澤昭彦『高層建築物の世界史』)。 つまり権力者だけが街を一望できたわけだ。 かつて評論家の岡田斗司夫さんが唱えていた面白い説がある。日本で初めて夜景を見下ろすことができたのは、織田信長ではないかというのだ。統制品だった油を自由化し、城下町には夜でも火が灯るようになった。それを安土城から見下ろしていたのではないか(『「世界征服」は可能か?』)。 真偽の程はわからないが、今や夜景なんて誰もが拝める。たとえば高さ202メートルの、東京都庁の南展望室は10時から20時まで無料で入室可能だ(百合子のお膝元なので休室中)。有料の展望台でも、「庶民では手が届かない」ということはない。 超高層の展望台は、身分制が終焉した象徴である。国で最も高い場所にも、お金さえ払えば誰もが入場可能になった。つまり大人1500円でハルカス300に登れるのは、資本主義と民主主義の証なのだ。 では資本主義の成功者が、一メートルでも高い場所に住もうとするかというと、それも違う。都市の富裕層も、一軒家や低層マンションを選ぶことが多い。タワーマンションの高層階の場合、使える資材が限定されてしまい、「本当にいい家」は作れないとも聞く。 そもそも天守は人が住む場所ではなかった。エレベーターがない時代は登るだけでも一苦労だったはずだ。現代の超高層ビルも縦の移動時間がボトルネックとして残る。超高層ビルの並ぶ都会というのは未来予測図の定番だが、使い勝手を考えると高さ千メートル以上の建物が乱立する社会というのは想像しにくい。 バブル期の日本には東京バベルタワー構想なるものがあった。山手線の内側全てを使って、高さ1万メートルの巨大タワーを作るというのだ。さすがに最上部に展望台を作る予定はなく、建設期間も100年から150年とか。人間無視もここまで来ると清々しい。 古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。 「週刊新潮」2021年7月1日号 掲載
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July 01, 2021 at 03:55AM
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