分かれ目の戦後モダニズム、4事例に見る戦略と決断
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1950年代~60年代に坂倉準三の設計で建てられたモダニズム建築が保存・解体の議論に揺れている。佐賀県が転用を目指していた「市村記念体育館」(63年竣工)は施工者選定の入札が不成立となり、11月24日、県知事が「凍結」を表明した。同じく坂倉設計の「旧上野市庁舎」(64年)、「旧羽島市庁舎」(59年)、「岐阜市民会館」(67年)と共に、モダニズム建築再生のヒントを探った。
建築家・坂倉準三(1901~69年)はこんな言葉を残している。「われわれは絶えず後の時代に正しいものを伝えるための権利と喜びと同時に責任と苦労とを持たなければならない」(『大きな声 建築家 坂倉準三の生涯』鹿島出版会)
モダニズム建築を次代に引き継ぐための「正しい」在り方とは何か。坂倉が覚悟した「責任と苦労」とは、何を意味していたのか。坂倉が設計した建物の存続が危ぶまれる今、それらの問いを考える時機に来ている。
模範的再生から一転、凍結へ
「市村記念体育館の改修計画、凍結へ」。11月24日、佐賀市城内に立つ築60年の「市村記念体育館」を巡って、そんなニュースが報じられた〔写真1〕。1カ月前には、現地で幸福な風景が繰り広げられていたというのに……〔写真2〕。まずは、この間の経緯を見てみよう。
10月21日、市村記念体育館でDOCOMOMO(ドコモモ) Japanによる記念プレート贈呈式が行われた。体育館は老朽化のため2017年に利用を停止。翌年に「肥前さが幕末維新博覧会」の会場として使われて以来、市民が足を踏み入れるのは約5年ぶりだ。坂倉建築研究所(東京都港区)大阪事務所の宍道弘志所長の案内による見学会も行われた〔写真3〕。
DOCOMOMOは近代建築を再評価するための活動を行う国際的な学術組織だ。その日本支部であるDOCOMOMO Japanが23年6月、22年度の「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に市村記念体育館を選定した。現在までに280件を選定してきたが、22年度の選定理由に書かれていたこんな1文が目を引く。
「施主である佐賀県が作品の価値を十二分に理解し、真摯に保存活用の道を模索された結果、用途は変更されるものの竣工時の意匠の保護に最大限配慮したうえで改修されることとなった、稀有(けう)な事例である」
進めれば「さらに30億円」
佐賀県は約52億円をかけて、この体育館を「文化や芸術の活動拠点」に転用する計画だった。23年7月に施工者選定の一般競争入札を公告。だが23年10月上旬に開札すると「不落」に。応札者はいたが金額が合わなかった。
前述の贈呈式や見学会はそうした中で行われた。この段階では「再入札でなんとかなるのでは」というムードだった。だが、県議会の開催を前にした23年11月24日、山口祥義知事が事業凍結の方針を会見で明らかにした。
知事は「とても素晴らしい先駆的な事業と考えていたが、県民負担の面から考えて今がやる時ではないと判断した」と語った。不落の原因は工事費の高騰で、事業を継続した場合には30億円程度の事業費の上振れが予想されるとした。
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December 28, 2023
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