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関東大震災後の耐火共同建築・九段下ビル 千代田区、設計図など文化財指定:東京(TOKYO Web) - 東京新聞

昭和レトロな雰囲気で地域の名所だった九段下ビル=千代田区で(2011年撮影)

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 東京メトロ九段下駅近くの靖国通り沿いで名物建築として親しまれながら、二〇一二年に解体された「九段下ビル」の設計図など建築時の関係資料が、千代田区の文化財に指定された。関東大震災(一九二三年)後の復興で実行された都心再開発のいきさつを伝える貴重な記録だ。(浅田晃弘)

 九段下ビルは、一九二七(昭和二)年に完成した。正式名称は「今川小路共同建築」。共同建築とは、当時の東京市などが設立した「復興建築助成会社」の融資を受け、複数の建築主が合同で建てたビルのこと。火災の被害が甚大だった震災後のまちづくりは、鉄筋コンクリートによる耐火建築が求められていた。

 八人の建築主が土地を共同購入し、三階建てのビルを建てた。一階が店舗、二階が住居。三階は貸室にして、共有階段で上がれるようにした。延べ床面積は千三百七十平方メートル。それぞれの所有部の広さには幅があり、デザインも違う。ステンドグラスの窓、モザイクタイルの床などで飾り付けた店舗もあった。

青焼きの図面を広げる学芸員の山田将之さん=日比谷図書文化館で

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 当時の資料は、建築主の遺族が保存していた。青焼きの設計図のほか、区画整理事業に伴う土地の移転や補償について示した書類、業者が作成した報告書など。昨年九月までに計三十五点の資料が千代田区に寄贈され、今年四月、このうちの三十三点が文化財に指定された。

 資料を調べた日比谷図書文化館の山田将之学芸員によると、九段下ビルは、震災復興事業として行われた共同建築の最初期のものでありながら、詳しい調査がされないまま解体された経緯がある。

 「これだけのまとまった資料が残っていてよかった。三年後、関東大震災から百年を迎えるのを機会に、不明なことが多かった共同建築の解明を進めたい」と話している。

上が外観の正面、下は平面図

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May 01, 2020 at 05:23AM
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