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水に浮かぶ未来の水上都市を構想するオランダ人建築家コーエン・オルトゥイス - WIRED.jp

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アムステルダム国立美術館の一角に、オランダ黄金時代の画家ヘリット・ベルクヘイデが17世紀の街並みを描いた作品「View of the Golden Bend in the Herengracht(ヘーレングラハトの黄金の曲がり角)」が掲げられている。アムステルダムの主要な運河沿いに並ぶバロック様式の建物を描いた絵画だ。ヘーレングラハト運河沿いに幅広の美しいレンガ造りの建物が並び、コーニスをあしらったファサードが水面に映っている。新しい住宅のあいだには、幼い子が笑顔になると見える歯の隙間のような空き地があり、開発されるのを待っている。

オランダ人建築家のコーエン・オルトゥイスはこの絵を見るたびに、オランダでは非常に多くの建物が水の上に建てられてきた事実を思い出す。「低い国」を意味するオランダは、3本の大河──ライン川、マース川、スヘルデ川──が合流して北海に流れ込むデルタ地帯に位置する。国土の4分の1以上が海面よりも低い。これまでの数百年、水気の多い土地の開発に苦労してきたオランダ人は、15世紀から、アルキメディアン・スクリューという名で知られる仕組みを利用して、風車の力を使って地面から水を汲み上げてきた。土地区画を高い堤防で守り、排水を続け、オランダ人が「ポルダー」と呼ぶ、農業や都市開発に利用できるほど乾燥した土地を増やしていった。オスマン建築がパリの象徴であるのと同じようにアムステルダムを象徴している運河沿いの大きなタウンハウスは、柔らかい泥に打ち込まれた何千もの木製支柱の上に建てられた。

最近、オルトゥイスはわたしに、「オランダは完全なフェイク、人工の機械だ」と語った。水が国土を飲み込むことに対する恐れは、オランダ人の国民感情に根付いていて、その結果として「水狼」という神話が生まれたのだという。オランダ人詩人で劇作家のヨースト・ファン・デン・フォンデルは、1641年に書いた詩のなかで、風力ポンプの「風車の翼」に対して「この動物を封じ込めろ」と迫った。

オルトゥイスはこれまでの20年、水狼と共存する方法を模索してきた人物だ。彼の建築事務所である「ウォータースタジオ」は水に浮かぶ家を専門にしているが、同社が手がける建築物は、オランダの運河に以前から並んでいた木造のハウスボートとは共通点がほとんどない。伝統的なハウスボートの多くは貨物船を改造したもので、狭くて、天井が低くて、配管がほとんどされておらず、戦後はボヘミアンの家、あるいはみすぼらしい住居とみなされてきた(ユトレヒトのかつての遊郭には、43隻のハウスボート売春宿が並んでいた)。

だがオルトゥイスが「ウォーターハウス」と呼ぶ、ウォータースタジオが手がける代表的な建築物は、見た目はモダンなコンドミニアムで、ガラスをふんだんに使ったファサード、一般的な住居と同等の高さの天井、そして複数階建てが特徴的だ。この10年、気候変動による悪天候で、インドのタミル・ナドゥから米国のニューイングランド地方にいたるまで、世界のあらゆる場所が洪水に襲われてきたこともあり、ウォータースタジオの建築物に対する需要が高まりつつある。同社は現在、パナマとタイで水に浮くポッド・ホテルを、スカンジナビアでは6階建ての水上アパートメントを、ペルシャ湾では暑さと高い湿度に抵抗する戦略の一環として水に浮かぶ森を、そしてモルディブではこれまでのところ最も野心的なプロジェクトとして水に浮かぶ「都市」を開発中だ。

ウォータースタジオは、上のモルディブの「水上都市」のようなコンセプト画像を、PhotoshopやAIプログラムのMidjourneyなどを用いて作成している。

ウォータースタジオは、上のモルディブの「水上都市」のようなコンセプト画像を、PhotoshopやAIプログラムのMidjourneyなどを用いて作成している。

Art work courtesy Waterstudio / Dutch Docklands

1月のある晩、わたしはアムステルダム中心部の近くにある港の船上に建てられた三重の塔の形をした中国料理レストラン「シーパレス」で、オルトゥイスと食事をした。香港にあるのと同じ建築物をベースにしたこのレストランは、およそ900席を擁し、ヨーロッパ最大の水上レストランを自負している。1984年のオープン初日の夜には、ボートが沈み、100人以上の食事客が避難を余儀なくされた。開発者は、平均的なオランダ人よりも香港の人々のほうが、体重がはるかに軽い点を見落としていたのだ。最終的に、避難した人々には海沿いの屋外で食事がふるまわれた。こうして、オランダでは中華料理をテイクアウトする伝統が生まれた……という伝説が語り継がれている。

オルトゥイスは52歳、スリムで背が高く、無精ひげを生やし、白髪交じりの髪をオランダ人の男性に典型的なやり方で、ざっくりとオールバックにしている。一年中、黒一色に身を包み、妻が反対しても、夏の休暇でも、黒のズボンを欠かさない。しかし、彼の本質は、美意識にうるさいわけではなく、むしろ休みを知らない発明家だ。クルマはプラグインハイブリッドだが、充電したことは一度もない。朝食は毎朝インスタントラーメンで、デルフトにある自らが設計した自宅では、ひとつのフロア全体に人工芝を敷き詰め、息子3人がサッカーをして遊べるようにした。わたしと食事をしたとき、オルトゥイスはコーク・ゼロを2本飲み干した。それで彼の活発な思考と活気がさらに増したといっても過言ではない。食事の最中、彼は両手に箸を1本ずつ握り、箸先を上に向けた。ウォータースタジオの建物の多くを水底につなぎ止めているポールを表現したのだ。

彼は箸の1本を置き、チキンの入ったボウルを手に取って、それがオルトゥイスの建物の多くを浮かせているコンクリート基礎だと説明する。「コンクリートは水の2.4倍の重さなので、コンクリートのブロックをつくると、すぐに水に沈んでしまいます」と少しアクセントのある英語で説明する。「でも、このように広げて空気で満たすと、コンクリートも浮かぶんです」

ポールは水底のおよそ5mの深さに設置され、水面上も少しの余裕をもたせる。そして水に浮かぶコンクリートの基礎をそのポールにリングで固定するのだ。オルトゥイスはボウルを箸に沿ってゆっくりと上下させ、基礎が水面の変動に応じて高さを変える仕組みを実演した。シーパレスは基本的に豪華な屋形船のようなもので、平底船に載って水に浮かんでいるのだが、ウォータースタジオのコンクリート基礎は建物に対して、少なくとも床下の水が荒れていないときは、陸にある建築物と同程度の安定性を付与する。彼のつくる建物と、いま食事している水上レストランの違いを尋ねると、オルトゥイスは「比較にもならない」と言った。

オルトゥイスはレストランの窓から対岸にある商店街を眺め、「このエリアは、学生向けの水上アパートメントや手ごろな価格の住宅を建てるのに最適でしょう」とコメントした。

「自然に対して計画的に降伏すべきだ」

オランダ政府による水対策は基本的に守りを重視する。気候変動によって増えた水かさに対処するために、新しいポンプ施設が次々とつくられている。2050年まで防波堤をより高くする計画に資金を費やすことになっている。しかし、オランダの主要な運河、堤防、防波堤などを監視する水管理局の職員で、洪水リスク管理に精通するハロルド・ファン・ワヴレンはわたしの取材に対し、海面が上昇し、高潮の規模が拡大するにつれ、水による脅威は予測不能になってきたと指摘する。「最近終了した研究の結果、オランダは今後、少なくとも3m、あるいは5mには問題なく対処できることがわかりました」。今後予想される高潮のことだ。「でも問題は、本当に3mで終わるのか、です。それは誰にもわかりません」

オルトゥイスは、オランダは洪水の危機にさらされている土地を水に返すべきだと考え、勝ち目のない闘いを続けるのではなく、自然に対して計画的に降伏すべきだと主張する。そしてチキンののった皿を手に取った。今度は、それを国内にある干拓地のひとつに見立てたのだ。オランダには3,000を超える干拓地があり、それらは一連のボウルのようなものだと、オルトゥイスは説明する。数世紀にわたって、オランダ人は多大な労力を費やしながら、そうしたボウルを乾燥した状態に保ち、土地を居住可能にしてきた。しかし、乾燥していない場所に人が住めないわけではない、とオルトゥイスは力説する。水の上に、干拓地よりも安全かつ丈夫な建物を築くことが可能なのだ。「ボウルのいくつかを水で満たすべきです」と彼は言い、100年ほど前に高層ビルが都市の景観を変えたのと同じで、土地を水で満たすのも、人為的なシステムに生じる自然な進化に過ぎないと示唆する。「これは仕組みのアップデートに過ぎません」

水上で生活するための工夫は昔から行なわれてきた。その多くは必要に迫られて生まれたものだ。500年前、現在のペルーに含まれる地域で、土着のウロ族が葦を集めてつくった小島をチチカカ湖に浮かべた。そうやって、侵略してくるインカ人から身を守ったと考えられる。現在でも、およそ1,300人がそのような葦の島で暮らしている。カンボジアでは、土地の所有を禁じられ、迫害を受けているベトナム系少数民族の数千人がトンレサップ湖の湖上で生活している。トンレサップ湖は乾季と雨季で水量を大きく変えるため、その少数民族の漁村は水上納屋、水上カラオケバー、水上診療所などで構成されている。オルトゥイスが特に関心をもつのは、彼が「ウェット・スラム」と呼ぶ場所だ。ナイジェリアのラゴスにあるマココ地区のように、支柱の上に簡素な木製の住居が建てられている水域のことである。「そこでは貧しい人々が環境に適応して生きています」とオルトゥイスは言う。「土地が見つからないから、水上に家を建てる方法を見つけたのです。そこに住む人々はイノベーターなのです」

オルトゥイスは、オランダの水対策は「過去50年間用いてきた工学的な方法からまったく進化していない」と語る。

オルトゥイスは、オランダの水対策は「過去50年間用いてきた工学的な方法からまったく進化していない」と語る。

Photograph by Giulio Di Sturco for The New Yorker

オルトゥイスは頻繁に、ウォータースタジオは「プロジェクトではなくプロダクトをつくっている」と話す。同社の目標は目新しい何かをつくることではなく、水上建築物を大量生産が可能な方法で標準化および近代化することだ。これまでの仕事のなかで、オルトゥイス本人が最も気に入っているのは、最も低予算のプロジェクトだ。インドでも貧しい州のひとつであるビハールで、洪水に弱い地域に「竹と牛の糞」で水上家屋のプロトタイプをつくった。その建物は、耐久性を考慮してスチール製のフレームを利用していて、複数世帯を収容でき、洪水の際に家畜を収容できる小屋も備えている。

オルトゥイスは、水上に浮かぶ教室、診療所、発電施設などの追加が可能な「オンデマンドでインスタントなソリューション」を「City Apps」構想と名付け、ビハールの水上家屋のような単純な構造物も、その一環とみなしている。夢は、人口過密と住宅価格の高騰を軽減するために、手軽な価格で買える水上家屋を世界各地に何十万も設置することだ。「その未来へ向けて、点と点をつなげることが、わたしの生涯をかけた仕事です」

富裕層の資金を使ったイノベーション

しかし、これまでのところウォータースタジオが手がけてきた建物のほとんどは、小規模な高級建築物だ。オルトゥイスはそれらを指して「富裕層の資金を使ったイノベーション」と呼ぶ。ある朝、わたしはアムステルダムから30kmほど離れた場所にあるライデン市の近郊、ライン川にウォータースタジオが浮かべた住宅を訪れた。蔓植物で覆われた高いフェンスを通り過ぎ、庭に敷かれたレンガの小道に沿って歩くと185平方メートルの2階建ての住宅に到着する。床から天井まで広がる窓と長いバルコニーが特徴的だ。ウォータースタジオはオランダ全国に200以上の水上住宅を建ててきたが、その家は2021年にエリック・ファン・マストリフト(71歳の元金融業者)が妻と住むために建てさせたものだ。

クオータージップのセーターにサンダルという気楽な服装のファン・マストリフトが、玄関前で出迎えてくれた。「もし10年前に『ハウスボートなんてどう?』と尋ねられていたら、わたしは否定していたでしょう。そんなことは考えたこともありませんでした」と彼は言う。ファン・マストリフト夫妻は、以前は通りの向かいにあるオランダ風切妻屋根と装飾が施されたファサードが特徴的な伝統的な家に住んでいた。90平方メートルほどの庭もあった。2016年、夫妻は成人した息子が実家に来たときの滞在場所にする目的で川に浮かぶハウスボートを買った。ところが、その息子がタイへ移住した。大きな自宅と庭を維持するのに疲れた夫妻は、もっと小さな家に住むことにした。息子のために買ったハウスボートは狭すぎたが、それがあった場所にはまだ余裕があった。そして、インターネットでウォータースタジオの存在を知ったのである。その家を建てるには150万ユーロ(約2億5,000万円)が必要だった。オルトゥイスの概算では、同じような建物を陸上につくるよりも10%から15%ほど高くつく。昨年、夫妻はそこに入居し、最近、以前住んでいた家を売り払った。

ファン・マストリフトが玄関先にあるスイッチを切り替え、床にあったハッチを開けてくれた。そこは、コンクリート基礎の空洞部分を利用した天井の低い収納スペースで、さまざまな荷物でいっぱいだった。屋内のメインフロアにはオープンキッチンがあり、2階分の高さのダイニングルームが隣接している。建物の片側には、いわば水でできた車道があり、暖かい季節には、そこにモーターボートを停めているという。目を上に向けると、ダイニングテーブルの上にクリスタルのシャンデリアがあった。シャンデリアは長くて太い金属の支柱にじかに取り付けられていたが、その支柱は天井と同じくすんだピンク色に塗られていたため、悪目立ちはしない。ファン・マストリフトの話では、もしチェーンでシャンデリアを吊したら、水が揺れるたびにシャンデリアもスイングするだろう。

この建物のハイテク機能指向と夫妻の装飾の好みのあいだには明らかな不調和があり、このシャンデリアはその一例に過ぎない。廊下の先のリビングルームには、革製のアームチェアが置かれ、金色の額縁に入ったいかにもオランダ的な絵画が飾られていた。「ここにあるものの多くは前の家からもってきたものです」とファン・マストリフトは説明した(ベッドルームの壁には前の家の写真も飾っている)。小さなエレベーターが2階につながっている。2階のバルコニーから眺めると、川の向こうに単調な工業地帯が広がっていた。レンタルボート倉庫の金属壁、積み上げられたカラフルな輸送パレット、自動車修理工場などだ。隣には、誰も住んでいない古いハウスボートがあった。富裕層の多くがそうであるように、ファン・マストリフトも未開発の環境にメリットを見いだす。「直接の隣人はいません」と彼は言う。「いくらうるさくしても、かまいません」

オランダ・ライデン市にある2階建て2000平方フィートの水上別荘のようなプロジェクトを、オルトゥイスは「富裕層の資金を使ったイノベーション」と呼ぶ。

オランダ・ライデン市にある2階建て2,000平方フィートの水上別荘のようなプロジェクトを、オルトゥイスは「富裕層の資金を使ったイノベーション」と呼ぶ。

Photograph by Giulio Di Sturco for The New Yorker

水上建築への道のり

オルトゥイスのキャリアは、自身の母系家族と父系家族の職業の融合だと言える。オルトゥイスは「古い家」を意味し、父親の家系は5世代にわたって建築と工学に携わってきた。デン・ハーグには、ファサードにタイルモザイクが設置されているアールヌーヴォー風建築物がいくつかあり、それらにはその建物を設計した建築家の名前「ヤン・オルトゥイス」がつけられている──コーエン・オルトゥイスの祖父の祖父だ。

母方の家系の姓はボートだ。オルトゥイスの母方の祖父ヤコーブシュは、ウーブルッヘ村で造船所を経営するボート家の3代目だった。どうやら創意工夫は家族の伝統のようだ。50年代、パイロットの免許をもっていたヤコーブシュは、ボートにスケートのブレードと飛行機の翼をつけ、凍った池の上を「セーリング」した。オルトゥイスに、両親はどこで出会ったのかと尋ねると、そこにも水が関係していることに気づいて、本人も驚きを隠せなかった。両親はイタリアをめぐるクルーズ旅行で出会ったのである。

それでも、オルトゥイス自身の水上建築への道のりはかなりの回り道だった。オランダは工業デザインで知られていて、オルトゥイスの故郷ソンは、工業の中心地であるアイントホーフェンの郊外に位置する。オルトゥイスの父親は電気機器メーカーのフィリップス社でテレビをつくっていた。当時はちょうど、白黒テレビがカラーテレビで置き換えられた時期だった。オルトゥイスは、毎月のように試験用として新しいテレビがうちにやってきたのをよく覚えている。そのなかには、レシートを印刷するようなロール紙とプリンターが組み込まれていて、スポーツのスコアなど、文字放送の内容を印刷できるものもあった。

幼いころ、祖父母のもとを訪れるたびに、オオルトゥイスは何時間もヤコーブシュの作業場にこもり、ボートや自動車あるいはヘリコプターのモデルを組み立てた。13歳のころには、友人のオートバイの修理を手伝い、合法的に運転が認められる年齢になる前から、田舎道を走り回っていた。一時は、アイントホーフェンにあるミシュラン星付きのレストランで働き、皿を洗ったり、客のクルマを駐車したりしていた。そのころは接客業に就くことを検討していた。ところが、当時交際していたガールフレンドがデルフト工科大学で建築学を学ぶことに決めたため、オルトゥイスも同じ大学の同じ学部で学ぶことにした。

オルトゥイスが学生だった90年代前半は、ドラマチックな美的センスの作品で世界的に名を馳せる「スターキテクト」こと有名建築家が数多く台頭した時期と重なっていた。オルトゥイスと同じオランダ人で、OMA(オフィス・フォー・メトロポリタン・アーキテクチャ)を設立したレム・コールハースは、厳格なコンセプトと、カンチレバー構造を用いた大胆なデザインで有名になった。福岡の「ネクサスワールド・ハウジング」、あるいは車椅子を使う建物オーナーを各フロアに送り届ける巨大なエレベータープラットフォームが印象的なフランスにある私邸の「メゾン・ア・ボルドー」などが代表例だ。

オルトゥイスは、そうしたスターキテクトのアプローチは自分勝手で、魅力的ではないと感じたそうだ。「彼らは社会貢献ではなく、自分自身の銅像を建てることに意識を向けていた」と彼は言う。大学で学会が開かれたとき、オルトゥイスはポーランド系米国人の有名建築家ダニエル・リベスキンドをクルマで送迎する機会があり、それをきっかけに両者のあいだに絆が生まれた。リベスキンドは移動中に見た風車をスケッチして、オルトゥイスに贈った。そのスケッチを、オルトゥイスはいまも大切にしている(数秘術のファンでもあるリベスキンドは、オルトゥイスのキャリアが2031年にピークを迎えると計算した。「まだもう少し時間があります」と言って、オルトゥイスは笑った)。オルトゥイスは、リベスキンドの実験に前向きな姿勢と、彼がベルリンのユダヤ博物館に吹き込んだような社会的意義に対する感覚を称賛する。「彼がわたしに、ものを建てることだけが建築ではないと教えてくれました」

大学を卒業したオルトゥイスは、以前授業を受けたことがある教授が経営する大手建築会社に就職した。会社で最初に手がけたのは、ウォルヘーゼの交通管理センターで、ここですでに水の要素が関係していた。人工の浅い池の水面にある台座の上に建物を設計したのだ。しかし、その会社の社風は退屈なものだった。「若い建築家たちに世界を変えるという気概が感じられなかったのです」と本人は説明する。当時、デルフト工科大学工学部の学生ロルフ・ペータースが働いていた会社が、アイ湖に浮かぶ人工島にアムステルダムの新区画として建造されることになった「アイブルフ」という住宅街の基本コンセプトのコンペへの参加を表明した。オルトゥイスはそのチームに加わった。彼らの作品はコンペに勝てなかったが、オルトゥイスとペータースはそれ以後も協力し、近隣の住宅を開発することにした。

オランダにおける新世代水上住宅の手本

コンペに勝った計画もハウスボートの区画を想定していたが、それがどのようなものになるかは、何ひとつとして指定していなかった。オランダでは、ハウスボートは水面の敷地権とともに販売される。陸上で、家と土地の両方の法的権利を得るのと同じような話だ。これまで何十年ものあいだ、アムステルダム住宅地の運河にはたくさんのハウスボートが並んできた。「そうしたボートの中を歩くと、頭が天井に当たります。どれもジメジメしていて、天井が低くて、不安定です」とオルトゥイスは言う。「でも、場所という意味では申し分ありません。そこで、まあ若気の至りかもしれませんが、自分たちならもっとうまくできる、と考えたのです」

また、そこにビジネスチャンスも嗅ぎとった。陸上では、たくさんの若い建築家たちが、限られた空間をめぐって競い合っているが、水上は違う。「盲目の国では片目が見えるだけでも王になれる」と考えたそうだ。そこで、ハールレムにあるペータースの自宅を拠点として、03年にウォータースタジオを立ち上げた。

ウォータースタジオの初期のプロジェクトに数えられるアムステルダム・アイブルフの住宅は、現在オランダに数多く存在する水上住宅地のひとつ。

ウォータースタジオの初期のプロジェクトに数えられるアムステルダム・アイブルフの住宅は、現在オランダに数多く存在する水上住宅地のひとつ。

Photograph by Giulio Di Sturco for The New Yorker

翌年、チューリップの取引を営む裕福な家族のためにガラス張りのハウスボートをデザインしたことが、新会社にとって初めてのブレークスルーとなった。「ウォーターヴィラ・アールスメール」と名付けられたその家は、チューリップのオークションが開催される倉庫の近くの湖面上に建てられることになった。当時の建設規制では、新規建物の大きさは、以前そこにあった従来型の1階建てハウスボートと同等でなければならなかった。しかし、オルトゥイスとペータースは、水面下での建築には規制がないことに気づいた。

彼らはデザインに、敷地面積が185平方メートルを超え、まるでスーパーヴィランの隠れ家にある武器庫のようにボタンひとつで水面下の基礎部分へと沈み込むワードローブや、20人を収容できる窓のない水中ホームシアターなどといった、派手な要素も盛り込んだ。その建物は、地元メディアの関心を集めることとなる。「1件の家に、6~7の取材班がやってきました」とオルトゥイスは回想する。あるテレビ番組はオルトゥイスを特集し、当時まだ30代前半で、ひげもきれいに剃っていたオルトゥイスがリビングルームでふかふかの白いソファに座る様子を映した。いま思えば、取材陣に対してかなり強気に、「21年までに世界中に水上都市が誕生しているだろう」と豪語したそうだ。

人工島住宅街のアイブルフに関しては、アムステルダム市が造船規則ではなく、住宅建築規則を適用すると決断した。つまり、水上建築物は適切な断熱設備および都市のインフラに接続する下水システムを完備していなければならない。加えて、水面上2階建てが認められた。入居希望者は、水利区画の購入権を得るための抽選に参加できる。08年、最初の会社としてウォータースタジオがアイブルフに家を浮かべた。いまも当時と同じ位置に停泊しているその建物は3階建てで、基礎部分に寝室がある。クレーンで吊して最初に水面に置いたとき、規則が認めているよりも25cmほど深く沈んだという(その家の所有者はのちに裁判を起こし、請負業者のひとつが建物を設計段階よりも重くしたと訴え、勝訴した)。チームはその建物のまわりの通路として、空気と水で膨らませる桟橋を設置することで浮力を追加し、この問題に対処した。オルトゥイスはわたしにこう言った。「その日以来、われわれはこの方式をすべてのプロジェクトに採り入れています」

ウォータースタジオのアイブルフ住宅は、オランダにおける新世代水上住宅の手本とみなされるようになった。いまでは全国に20以上の水上住宅街が存在する。アイブルフの住宅は、ミニチュアの街のように格子状に配置され、歩道の代わりに狭い桟橋がある。夜は、暗い水面に浮かぶランタンのようだ。この住宅街に家を買うのは、価値ある投資であったことが証明された。およそ30万ドルで建てられた家屋が、いまではその数倍の価格で取引されている。

アムステルダムに滞在中、わたしはアイブルフにあるラ・コルテ・スコンタという名のB&B(ベッド&ブレックファースト)に部屋を借りていた。そこの経営者兄弟はイタリアの水の都であるヴェネツィアの出身だ。借りた部屋は3階建ての最下層にあり、その上はオープンキッチンと植物で飾られたゆったりした共用スペースで、幅広のスライド窓から水面を眺めることができる。階段を下りて、短い廊下の端にある部屋に入ると、壁の高い位置にある小さな窓が目に入った。英国の住宅の地下でよくある窓に似ている。そこから外をのぞくと、窓のいちばん下あたりまで水面が来ていた。つまり、わたしの立つ床は水面下2m弱ということだ。最上階で暮らしている兄弟のひとり、アウロ・カヴァルカンテの話では、建物の揺れを実感できるのは、嵐が来ているときぐらいだそうだ。その夜は天気がよかったが、わたしはわずかな揺れを感じた。四方を水に囲まれているという意識からそう思い込んだだけかもしれない。

「とてもすてきできれいな建物だけをつくりたいわけではありません」

現在、ウォータースタジオはデン・ハーグとデルフトのあいだにある小都市レイスウェイクの閑静な住宅街、かつて食料品店だった場所に本社を構えている。オルトゥイスの自宅はそこから10分の距離、デルフトのダウンタウンにある鉄道ハブの上に建てられた新しい住宅街にある。水上の質素な住宅という彼の理想とはかなりかけ離れているが、本人の話では、庭を設置できるほど広い水利区画を入手できた場合にのみ、家族ともども水上住宅に移り住むつもりだそうだ(彼の妻のシャルロッテに水上生活に賛成かどうかを尋ねたところ、「夏休みの時期だけなら」という答えが返ってきた)。

会社のオープンオフィスは店頭の窓から中が見渡せるほどこぢんまりとしていて、従業員が働く白いデスクが並んでいる。平日の午前そこに到着したとき、オルトゥイスは朝食のラーメンを食べている最中だった。わたしに気づいた彼が、ドアのところまで出迎えに来てくれ、「この通りとこの建物は、ほぼ一体です」と言った。

オフィスでは、部屋の長辺に沿って金属製の棚が並び、すでに完成したものからまだ構想中のものまで、さまざまな建物の3Dプリントモデルが置かれていた。ガラス屋根からオーロラを眺望できる水上ホテル。動植物の水性生息地となるプレートを不安定に積み重ねたように見える細長いタワー。水面から突き出た1本のポールの先に「シーポッド」を設置した建物は、ロリポップキャンディのような形をしていて、ポッドのなかに人が住むことを想定している。

デザインと素材に関しては、オルトゥイスは即興的なアプローチをよしとする。彼は最近、風力発電タービンのブレードが古くなると、リサイクル業者が代金を受け取って処分している事実を知った。だが結局、ブレードの多くは埋め立て地送りになってしまう。そこで彼は、韓国のクライアントと相談して、ブレードの中空のガラス繊維を水上歩道の基礎として使う、あるいはブレードの側面を切って窓にすることでブレード全体をホテルの部屋にするなどといった再利用の可能性を模索した。「ブレードはお金を払ってつくらせなければならないとしたら、決して実現できなかった建築物になる可能性を秘めている」とオルトゥイスは語る。

そうした柔軟さは、新技術の利用でも発揮される。18年からウォータースタジオで働いているアンナ・ヴァンデミアがひとつのデスクに置かれた2台のモニターの前に陣取って、人工知能(AI)ツールのMidjourneyを駆使し、貝殻の形をした水上ホテル・スイートのコンセプト画像を作成していた。ドバイのクライアントのためのもので、ホテルには曲線を基調にした窓や、スイミングプールもある。

高温多湿対策の一環として考案された、ペルシャ湾に浮かぶ森の完成予想図。水上でのプロジェクトは quotとてもとても忍耐強くなければならない quotとオルトゥイスは言う。

高温多湿対策の一環として考案された、ペルシャ湾に浮かぶ森の完成予想図。水上でのプロジェクトは "とてもとても忍耐強くなければならない "とオルトゥイスは言う。

Art work courtesy Waterstudio

隣の列では、7年前に入社したムンバイ出身のスリダール・スブラマニが、ロッテルダム市から委託された調査に取り組んでいた。ヨーロッパ最大の港を擁するロッテルダムは、ローヌ川の人工河口として北海に注ぐ広大な運河、ニューウェ・ウァーターウェーフ沿いに位置する。そのため、ロッテルダムはとりわけ洪水に弱く、市政は水に適応する都市設計に多額を投じてきた。

19年、同市で最下層にチーズ工場を備えた太陽光発電式水上酪農場がオープンした。移動式の水上建築物の集団を形成すると仮定して、住民の日々の生活に応じて一日を通してどの建物をどう動かして、場所を変えることが可能かを調査することが、市からウォータースタジオに課せられた任務だった。例えば、あるコンセプトでは、レストランをのせたプラットフォームが、ランチタイムには市街地のオフィス街に移動し、夕方には住宅街に移動する。スブラマニのコンピューター・スクリーンでは、建物を表す小さなアイコンの数多くが、働き蜂のようにロッテルダム市街地のニューウェ・マース川に集まっていた。

スブラマニは建築学で学位を取得したが、自らは「都市技術者および研究者」と名乗る。オルトゥイスはのちに「スリダール・スブラマニはわたしよりもクレイジーだ」と語った。スブラマニの面接試験をしたとき、なぜ水上建築に興味があるのかと問いかけたところ、彼は、自分の本当の目標はヘリウム風船を使って空に浮かぶ都市をつくることだと答えたそうだ。

ウォータースタジオの共同創業者であるロルフ・ペータースは、独立したプロジェクトに取り組むため、会社を去っていった。過去10年、社内におけるオルトゥイスのパートナー役を務めたのは、44歳の建築家のアンキー・スタム。彼女が事業の経営面とマーケティングをカバーしている。「この会社には普通の建築学部生とは違うタイプの人々が集まってきます」。黒パンにヌテラを塗り、ゴーダチーズをのせながら、スタムが言った。「われわれは、とてもすてきできれいな建物だけをつくりたいわけではありません」

モルディブの水上都市

まるでレゴのブロックのように、オフィスのそこらじゅうにモルディブの水上都市の3Dプリントモデルの小さなパーツが散らばっていた。オルトゥイスが光沢のある巨大な印刷用紙をデスクの上に広げた。それは、上空から眺めた完成予想図だった。水面にモザイクのように係留されるプラットフォームは、まるで人工のクモの巣で、その上にはパステルカラーの住宅が並んでいる。この都市はモルディブの過密首都マレからボートで15分の位置に開発される予定で、総工費は10億ドルが見積もられている。サンゴ礁と埋め立てた砂州で浅いラグーンを強い波から守り、ラグーン内に13,000ユニットもの住宅を建設する。

インド洋に浮かぶ群島国家であるモルディブにとって、気候変動はすでに死活問題だ。地学調査によると、2050年までに国土の80%が居住不能になる。水上都市のアイデアは、09年にモルディブ大統領のモハメド・ナシードが、同国における気候変動の脅威に対する認識を広めるために、スキューバダイビングの装備をして水中で閣僚会議を開催したことに端を発している。それを見たモルディブ・オランダ領事館が水管理技術におけるオランダの世界的な名声を利用して、ナシードにウォータースタジオを紹介した。

「モルディブでは、波を止めることはできないが、波と同じ高さになることはできる」とナシードはこの計画について語ったことがある。しかし、そのナシードは12年に退任し、それ以降、ウォータースタジオは4つのモルディブ政権にその都度、この計画の重要性について説得しなければならなかった。「これはある意味、教育です」とオルトゥイスは言う。「ゼロからやり直す必要があります」

最近になって、最初のバッチとして4棟の住宅が海に曳航された。オルトゥイスの予想では、2028年までに建設が完了するという。「もっと早く終わらせることも可能です」と彼は説明する。なぜなら、住宅はモジュール式であるため、複数の工場が同時に製造を進められるからだ。だが、これまでの各種プロジェクトでは、区画割りの問題、開発業者の足踏み、地元インフラの弱さなどが原因で予定よりも遅れるのが常だった。

16年、『The New York Times』がニュージャージー州とドバイにおいて、ウォータースタジオの野心的なプロジェクトが1年以内に最初のユニットを展開すると報じたが、それから8年がたったいま、オルトゥイスはどちらのプロジェクトもまだ建設を待っている段階だと述べた。ウォータースタジオはニュージャージー州のプロジェクトのために15のデザインを制作した。「このビジネスは、陸上に建てるのとはまったく異なります」と彼は言う。「とても、とても忍耐強くなければなりません」

ウォータースタジオを追って、ほかの会社も水上不動産業に参入してきた。モルディブのプロジェクトのかなりの部分で、水上建築物に特化した民間建築会社のダッチ・ドックランズ社が資金を投じていて、同社は手ごろな価格の住宅に加え、自社製の高級な水上ホテルや邸宅を建てるつもりだ(オルトゥイスは同社の株を少数保有している)。21年には、ニューヨークに拠点を置くオーシャニクス社とデンマーク人スターキテクトのビャルケ・インゲルスが所有するBIG社が、韓国の釜山沖に水上施設を建設する計画を発表した。オーシャニクスは同プロジェクトを「新しい産業の幕開け」と宣伝し、業界ブログは予想完成時期を2025年と見積もったが、建設はまだ始まってもいない(オーシャニクスの共同創業者兼CEOのイタイ・マダモンブは、今年末までに着工する予定だと述べた)。

ほかの会社、とりわけ大きな会社との競合が強まるに従い、新しい従業員を雇うのが「少し難しくなった」とオルトゥイスは言う。「われわれの強みは、20年の経験です」と指摘し、こう付け加えた。「そのため、われわれのほうが建築のトリックや問題について少し詳しいので、今後3~5年ほどは、他社に先んじることができるでしょう」。どの会社も、派手な約束を本当に守ることができるのなら、そうやって水上建築に関心が集まるのはポジティブなことだと、オルトゥイスは考える。「現状、プロジェクトの数は多くなく、それらのすべてが成功する必要があります」

「テロリストには黙っておいてくださいよ」

オランダの近代史において最も壊滅的な被害をもたらした自然災害は1953年に発生した北海大洪水だった。現地でヴァーターシュノードランプと呼ばれるこの大洪水は、冬の終わりの大潮の時期と海上を超えてやってきた強風が重なったことで発生した。オランダ北部の住民は2月1日深夜、住宅の密集する島やきちんと管理されてきた干拓地を襲った洪水によって眠りから引き裂かれた。鉄道は浸水し、電信柱は倒れ、被災地との連絡が途絶えた。公式な警報が地域住民に届いたのは朝の8時、すでに人々の多くは屋根の上や屋根裏部屋に取り残されていた。

「まるで世界の終わりを見ているようだった」。クライニンゲンという村で被災した人は語る。翌日の午後4時、最初のよりもさらに高い波が新たに押し寄せ、まだなんとか踏ん張っていた建物をも押し流した。生存者のなかには、大型の船が救助にやってくるのを何日も待ちつづけた人もいた。最終的に、およそ2,000人が命を落とした。

この災害を機に、オランダ政府は堤防の老朽化という問題に立ち向かわざるをえなくなった。洪水から1週間後、委員会が設置され、全国水害防衛計画を考案した。20,000kmにおよぶ新たな護岸設備、堤防、ダムを含むその計画はデルタ計画と呼ばれるようになった。そして、同計画の最終到達点として、98年にマエストラント可動堰が完成した。ニューウェ・ウァーターウェーフ運河と北海を隔てる鋼鉄製の巨大な高潮防壁のことだ。

ある日の午後、オルトゥイスがわたしをクルマに乗せ、マエストラント可動堰のある場所まで連れていってくれた。オランダでは都市部を離れると、風景が人工的であることに気づかずにはいられない。道路が地形のなかで最も高い位置を走り、クルマの窓から低い位置にある農場を見渡すことができる。農場のあちこちに、最近の大雨でできた水たまりがあった。細い運河が起伏のある地面をまっすぐ横切っている。海に近づくにつれて、土地の標高も上がる。チキン料理の入った巨大なボウルの縁のようだ。そのため、海面を見るために視線を上げることになり、奇妙な感覚が生まれる。農地を横切る運河の多くは、草で覆われた低い土手で強化されていた。「あれらを破壊するのはたやすいことです」。オルトゥイスがそうした堤防を見ながら言った。「テロリストには黙っておいてくださいよ。でも、この国をめちゃくちゃにしたかったら、いくつかの堤防を破壊するだけで、全体が崩壊するでしょう。ここから、アムステルダムの半分が水浸しになるはずです」

ニューウェ・ウァーターウェーフは海に向かう工業船や石油採掘リグで混雑していた。左右の両岸に発電用の風車が並んでいる。オルトゥイスは駐車場にクルマを停め、マエストラント可動堰を眺めた。建築評論家のマイケル・キンメルマンが「ヨーロッパであまり知られていない奇跡のひとつ」と称した建造物だ。これまでつくられた可動式の建造物としては最大級で、ふたつの同一の白い鋼鉄製フレームで構成されている。どちらもおよそ7,000tの重さを誇り、それぞれ運河の対岸に設置されている。ニューウェ・ウァーターウェーフの水位はコンピューターで監視され、水位が上がりすぎると、システムが稼働し、両フレームが岸を離れ、運河の中央でつながって湾曲した壁となって、運河を高潮から保護する仕組みだ。

オルトゥイスとわたしは、警告の標識が貼られた金属フェンスまで歩いていった。そこからは、鋼鉄フレームのいちばん近い部分まではおよそ10mだ。そのトラス式の構造はエッフェル塔と比較されることが多い。エッフェル塔のそれよりは少し短く、わたしに言わせれば、横を向いたジェットコースターに見える。ちっぽけな体でその横に立ったわたしは、なんだか興奮して、少し不気味なスリルさえ感じた。

マエストラント可動堰は10,000年に1回しか発生しないと予想されるほどの嵐にも耐えるように設計されている。テストを除けば、これまでのところ実際に利用されたのは1回だけ。去年の12月「ピア」と命名された暴風が吹き荒れたときだ。しかし、水管理局で洪水リスクの管理を担当するハロルド・ファン・ワヴレンが語ったところによると、もし激しい嵐の頻度が増し、マエストラント可動堰が閉じている時間が延びることになれば、海に注ぐ河川の水が行き場を失い、どのみち結果として洪水が起こってしまう。「必要なのは、とても小さなものから大規模なものまで、数多くの幅広いソリューションなのです」とファン・ワヴレンは指摘した。

オルトゥイスの考えに同調するかのように、オランダはこれまで水のキャパシティを増やす方向へ対策を講じてきた。06年に着工し21年に完了した「ルーム・フォー・ザ・リバー」プロジェクトでは、30の区画で河川の深さと幅を拡大し、人工的な堤防を湿地で置き換えた。それでもなお、ファン・ワヴレンには水上建築が未来の鍵を握るとは思えない。「水上建築を大規模に行なえるのかどうか、定かではありません」と彼は言った。

アムステルダム自由大学の水と気候リスク学部で学部長を務め、同国環境研究の第一人者として知られるイェロン・アーツはさらに懐疑的だ。「大きな水上都市が誕生するか? 正直、ありえないでしょう」。水上での生活はオランダ人の文化ではないと言う。そしてこう付け加えた。「標準的なオランダ人は、庭と2階建ての家を望みます」

オルトゥイスも、ある意味ではその考え方に同意し、大規模な水上建築にとって最大の障害は、技術でも金銭でもなく、心情的なものだと指摘する。オランダ人に水とともに暮らす生活を想像するように促すと、いわゆるニンビー現象が顔を出す。「考え方は気に入るのですが、自分はやらないと言います」とオルトゥイスは指摘する。「庭が水になるとしたら、と尋ねると、いやだと答えるんです」。オルトゥイスはオランダ当局の動きが鈍く、水狼に対する消極的な姿勢をなかなか変えようとしないことにいら立ちを覚えている。そして、この国は「過去50年間用いてきた工学的な方法からまったく進化していない」と語った。新しい対策がいますぐにも必要なのに「政治家はまだ覚悟ができていない」と。

「ボートと同じで、建物は無事でした」

わたしたちは、運河をよりよく眺望するために丘を登った。たくさんの船がマエストラント可動堰を通過していく。逆説的ではあるが、オランダ人が洪水に慣れてしまったため、水上建築が思うように発展しないとオルトゥイスは考えている。「国が水によって脅かされると、その国の法が水に近づくことを禁止するのです」。オランダでは、水上建築物の分譲が認められていない。そのため、開発者には多世帯住宅を建てて売ることにうまみはない。加えて、オランダでは住宅用水利区画は販売サイズが制限されているため、ウォータースタジオがスカンジナビアに設置したアパートメントのような高いビルを建てることもできない。「市は水域の区割りを刷新し、30m×30mの区画などの開発を認めるべきです」。そしてオルトゥイスはこう付け加えた。「われわれはこれまでいくつもの設計図を描いてきました。でも、いまだに適切な市町村からの承認を待ちつづけているのです」

ウォータースタジオが完成させたなかで最も野心的な作品を見るために、わたしはオランダをあとにしてフランスのリヨンへと向かった。ガリエニ橋の近く、舗装された水辺の遊歩道から少し離れた場所で、水上劇場「リル・オ」がローヌ川に浮かんでいた(名前の「オ」は「Ô」と表記されるが、これはフランス語で「水」を意味する「eau」と同音である)。冬の午後、複数の車線が走る川岸の道路は渋滞していたが、にぎやかなオランダの川と違って、ローヌ川は静かだった。この劇場は6面の傾斜した多角形で構成され、不規則な形で切り抜かれた窓がある。3本の通路で川岸とつながっていて、川面から突き出た氷山のような印象を与える。

この劇場は、子ども向けの公演を行なう地元の団体「パタドーム」の第2の拠点として、23年初頭に一般向けにオープンとなった。しかしオルトゥイスは胸を張って、同劇場のことを「グローバルで移動可能なアセット」と呼ぶ。あくまで公共インフラの一部であり、もしリヨンで必要がなくなれば、単純に川を伝ってアヴィニョンやマルセイユへもっていける、という意味だ。現在のリース期間はあと18年で、モジュール式のデザインが施されているため、さまざまな用途に利用できる。パタドームで事業開発を担当しているダヴィッド・ライーユが、同劇場の建設計画に携わった。「今日は劇場です」。ライーユはわたしに言った。「必要なら、明日からは簡単に学校に変えられます」

2018年、リヨンの水路の管理がフランス連邦政府に移管されたことに伴い、同市がウォーターフロントの刷新計画を立ち上げたとき、新しい劇場を建てるというアイデアも生まれた。当時、パタドームは新しい建物を必要としていたが、フランスではルイ14世にまでさかのぼる古い君主制の影響で、陸上における劇場の建設が厳格に規制されている。しかし、水上ならその規制から逃れることが可能だ。「最初、船を買って改造しようと考えていました」。ライーユが言った。だが、たまたまウォータースタジオを見つけ、ウォータースタジオがゼロから設計する野心的な建物を提案したのだという。

エンジニア出身ではつらつとしたフランス人のライーユは、ウォータースタジオのオフィスで開かれた初めてのミーティングのことをいまもよく覚えている。オルトゥイスは木のブロックが入った箱を取り出して、中身をテーブルにぶちまけ、クライアントたちに川の風景を形づくるように要求した。次に、同じブロックを使って、その場で劇場を組み立てるよう求めた。それが最終的に、ふぞろいな幾何学模様のデザインにつながったのだ。「子どもに戻ったようで、必死に想像しました」とライーユは言った。

だが、その建設の許可を得るには、市でも、国レベルでも、さまざまな行政機関との駆け引きが必要だった。そしてこのプロジェクトの命運は、最終的にはたったひとりの人物の手に託された。21年にフランス環境連帯移行省内のリヨン地区河川航行ユニットの長に任命されたジャン=バスティアン・ガンボネだ。ガンボネはリヨンとパリの両方から承認を得るために力を尽くした。およそ1年の期間が必要だった。「ここフランスでは、普通なら10年はかかったでしょう」とライーユは説明する。

同劇場用のコンクリート基礎は、リヨンの郊外8kmの場所で注がれた。ローン川に架かる橋のほとんどは低いため、劇場の水上部分は現地で建設しなければならなかった。プラットフォームが完成し、クレーンで川に設置する準備が整ったころ、川岸が果たして合計で1,500tにもなる重量に耐えられるのかという疑問が生じた。そこで彼らは大急ぎで──わずか数週間という短期間で──20mの鋼鉄杭を使って川岸を補強した(ガンボネが、護岸工事に関係する行政手続きは自分があとからなんとかすると約束した)。「わたしは土地の所有者に、『これであなたはフランスで最も強靱な岸壁を手に入れた』と伝えました」とライーユは言う。

劇場のロビーに入ると、床から天井までむき出しの、軽量加工木材のクロス・ラミネイティド・ティンバーの白っぽい梁が目に入る。わたしがその場所を見学したとき、ふたつある劇場の大きいほう、244席の収容数を誇る大ホールで、『動物農場』の子ども向け講演が終わったところだった。壁と天井には、長い竹棒で波のような模様が描かれている。そうやって水辺の雰囲気を醸し出しながら、音響効果も高めているのだ。床には紙吹雪が散乱し、子どもたちは舞台に上がって、木造の納屋などを観察していた。窓のないその空間は、わたしが足を踏み入れた建物には収まらないのではないかと思えるほど広く感じた。それもそのはず、外から見れば、劇場の高さの3分の1が水面下に隠れているのだ。舞台係の人がわたしに、「いまいる場所は水中です」と言った。その人の話では、建物の揺れを感じるのは、すぐ横を大型のボートが高速で通り過ぎたときぐらいだそうだ。

オープンしたころ、地元の人々から、同劇場が市の新古典主義様式の石造建築には不釣り合いだという不満も聞かれた。同劇場に関するニュース記事のコメント欄に「とても醜い」と書いた人もいた。「内容と形のどちらも見かけ倒し」との声もあった。リル・オのディレクターであるジャン=フィリップ・アミーは「リヨンは伝統豊かな都市」と言いながらも、この空間は多くの訪問者、特にパタドームのターゲット層である若者を引き寄せていると語る。子どもたちは窓から外をのぞいて、水面が目の高さにあるのを確かめることができる。晴れていれば、川面に反射する光のきらめきが建物の壁に映し出される。

昨年の12月、フランスアルプスが1週間にわたり豪雨に見舞われ、山脈の氷河から溶け出した大量の水がローヌ川に流入した。増水したローヌ川がソーヌ川と合流するリヨンの中心では、水流が強まった。12月12日の夜、洪水が予想されていたにもかかわらず、リル・オは、市のアイルランド領事館が主催するイベントを予定どおり開催することにした。アルプスからの水は予想よりも早く、しかも勢いよく到着した。劇場に入るために、ゲストは通路の上に臨時で架けられた木製の橋を渡らなければならなかった。1階の窓から、ローヌ川がものすごい勢いで流れるのが見えたという。

「水面に浮かぶ木々がすごいスピードで流れていくのが見えました」とライーユは回想する。自分のスマートフォンで水面の高さの公式発表を確認したが、陸地が浸水しても、劇場の水面下の客席にいる観客は1滴も濡れなかった。ライーユが午前1時に劇場を出たとき、川岸では水が膝の高さにまで達していた。陸から見ると、劇場は増水した川に浮かんで、高い位置にあった。「ボートと同じで、建物は無事でした」。ライーユは言う。「何の問題もなく、上がったり下がったりするのですから。問題は、そこから出ることぐらいです」

(Originally published onThe New Yorker, translated by Kei Hasegawa/LIBER, edited by Michiaki Matsushima)

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